多くの企業でAI導入が進む中、人事部門は「AIの活用度合いを、具体的にどう評価に反映させればいいのか?」という新しい課題に直面しています。 従来の評価制度は「人間」の業務遂行能力を測るために設計されています。しかし、AIがパートナーとして参画するこれからの時代、その仕組みだけではAIとの協働によって生まれる新しい価値を見落とす可能性があります。 本稿では、AIを人と並ぶ経営資源と捉える『AHR(AI and Human Resources)』の思想に基づき、AI時代の新しい評価制度のあり方を、先進事例と共に議論します。
AHRとは?
AHR(AI and Human Resources)とは、企業の経営課題に向き合う組織能力を充足させるため、AI資源と人的資源を経営資源として設計・運用・再配分する、株式会社プロリクが2025年6月に提唱した実践フレームです。従来のHRが人的資源のみを扱ったのに対し、AHRはAIを人と並ぶ「経営のコア資源」と捉え、組織能力獲得を目指す考え方です。
📄 詳細記事: 【決定版】AHRとは?-人とAIの働き方をリデザインする
この記事の要点(TL;DR)
- 課題: 従来の「人」前提の評価制度では、AIと人の「協働価値」を正しく測定・評価できない。
- 背景: AIを「ツール」ではなく「経営資源」と捉えるAHRの視点では、AI活用を促す「制度設計」が不可欠。
- 先進事例: Microsoft、Infosys、LayerXなどは、評価基準を「ツールの利用」から「事業インパクト」や「AIスキルの習得」へと移行済。
- AHRの3つの新視点: これからの評価は①価値転換力、②プロセス設計力、③チーム貢献(協働)の3軸で再定義する。
なぜ今、人事評価制度の見直しが必要なのか?
私たちがAHRの視点から人事評価制度の見直しを提言する背景には、「AIを導入したが、現場で使われない」という、「AHRとは?」の記事でも指摘した「AI活用の深刻な停滞」と共通する課題があります。
その停滞の根本原因は、AIを「経営資源」ではなく単なる「便利ツール」として捉え、その活用を個人の意欲に任せてきた従来の『ツール思考』にあります。 従来の評価制度が「人」のスキルだけを前提にしている限り、AIの活用は「個人の業務効率化」に留まります。
AI時代においては、AIとの協働によって生まれた成果を正しく評価し、社員に還元する「制度設計」へとアップデートすることが必要なのではないかと考え、今回の記事を執筆しています。
AI時代の人事評価:世界の先進事例
この考え方は、決して理想論ではありません。世界ではすでに、AIと人が協働して生み出す価値を、新しい基準で評価しようとする企業が次々と現れています。
事例① Microsoft:AI活用を「事業インパクト」で評価
Business Insider誌などの報道によれば、Microsoft社は年次の業績評価において、「AIアシスタントCopilotを使って、どれだけ業務にインパクトを与えたか」を考慮するようマネージャーに明確な方針を示しました。 同社が公開するCopilotの効果測定プレイブックでは、効果を「導入準備 → 活用定着 → 事業インパクト」の3段階で測るよう設計されています。最終段階の「インパクト」とは、「情報の検索や資料作成にかかる時間の短縮」や「会議の要約時間を97%短縮した(導入企業事例)」といった、具体的な業務改善・事業貢献を指します。 これは、評価の尺度が「AIを使ったか」ではなく、「AIとの協業を通じて、事業にどれだけ貢献したか」という本質的な成果へと向かっていることを示しています。
事例② Infosys:AIスキルの習得を「昇給」に直結
インドのIT大手Infosysは、AIスキルそのものを「企業の成長に直結する資産」と捉え、昇給と結びつける制度を導入しています。同社の人事責任者は、社内のAIトレーニングを修了し「生成AIのスキルを習得した従業員は、より高い昇給を得られる」と明確に述べています。 これは、AI活用による間接的な成果だけでなく、「AIを使いこなす能力そのもの」に直接的な金銭的価値を設定することで、全社員のAI能力習得を戦略的に促すアプローチです。
事例③ Shoosmiths:AIの利用回数を「チームのボーナス」に
イギリスの大手法律事務所Shoosmithsは、ユニークなインセンティブ制度を導入しました。「年間でAIへの指示(プロンプト)の利用回数が100万回に達したら、全従業員で総額100万ポンド(約1.9億円)のボーナスを山分けする」というものです。 この制度が画期的なのは、評価の対象が「個人の成果」ではなく、「チーム全体の行動」に向けられている点です。AIを使いこなせる一部のスタープレイヤーを生むのではなく、まず組織全体で「AIに触れてみよう」という文化を育むことに会社が投資しているのです。
事例④ Duolingo:AI活用を「チームへの貢献」として評価
語学学習アプリのDuolingoは、「AI-first」方針を人事評価にも反映させています。同社では社員のAI習熟度を、上司評価だけでなくピアレビュー(同僚評価)にも組み込む動きを進めていると報じられています。 評価の場で問われるのは、「AIをどう使って仕事のやり方を変え、より良い成果に繋げたか」という本質的な貢献です。さらに、同僚からも「あなたのAI活用から何を学べたか」を評価されることで、AI活用が個人のスキルからチーム全体の文化へと高められています。
事例⑤ LayerX:AIが生んだ「生産性向上」を賞与で還元
日本でも新しい考え方を実践する企業が存在します。LayerX社は2025年10月、「AI等の利活用を通じて向上した生産性を従業員へ還元する」ことを目的に、査定結果に応じて月額給与の最大6ヶ月分を支給する新しい賞与制度を導入しました。 これまで個人の意欲に任されがちだったAIによる「生産性向上」を、会社として「重要な成果」と公式に認め、賞与という形で明確に報いる制度として位置づけています。
事例⑥ JCOM:AIを「客観的な評価指標」として導入
JCOM社は、AIを「評価の仕組み」そのものに組み込みました。カスタマーセンターの応対品質評価にGoogleの生成AI「Gemini」を導入し、AIが顧客との通話データから応対前後の感情の変化を「最終ポジティブ率」として算出。これをオペレーターの新たな重要評価指標の一つとして採用しています。 これまで評価者の主観に頼らざるを得なかった「応対品質」に、「AIが測定した客観的なデータ」という公平な指標を導入した事例です。
AHRが提言する3つの新しい評価視点
これらの先進事例から、私たちは何を学ぶべきでしょうか。 各社の取り組みに共通するのは、評価の目がもはや「AIをうまく使えるか」という技術習熟度ではなく、**「AIをパートナーとして、どんな新しい価値を生み出せるか」**という、より本質的な問いへと向かっている点です。 AHRの視点に基づき、これからの時代に評価すべき「新しい価値」を、私たちは以下の3つの視点で再定義します。
1. 価値転換力(Value Conversion) AIが生み出した「効率(時間)」や「データ(示唆)」を、単なる「時間短縮」で終わらせず、具体的な「事業インパクト」や「成果」へと転換する能力です。 (例:AIに市場分析を任せて生まれた時間で、より深度のある顧客対話を実現する。AIが作成したコピー案A/Bテストで広告効果を最大化する) これは、Microsoft社やLayerX社が「インパクト」や「生産性向上」として評価しようとしている中核的な能力です。
2. プロセス設計力(Process Design) AIを自らの業務プロセスに組み込み、人とAIの最適な役割分担を考え、新しい働き方を自ら設計・実行する能力です。 (例:自分の定型業務をAIエージェントに任せる手順(プロンプト)を設計し、それをチームに共有して全体の業務フローを改善する) これは、Infosys社が「AIスキル」として昇給に結びつけたり、Shoosmiths社が「AIの利用」として奨励したりする行動の土台となります。
3. チーム貢献・協働力(Collaboration) AIの活用を通じて、個人の成果に留まらず、チームや組織全体の生産性・創造性に貢献する能力です。 (例:AIの分析結果を基に、チームで新たな戦略を議論する。JCOM社のようにAIによる客観的評価を受け入れ、応対品質向上に努める。Duolingo社のように、自らのAI活用ノウハウを同僚に共有する) これは、「AIが苦手な人」であっても、AIが得意な同僚と協力して成果を出す「協働」も含みます。
まとめ:AI時代の「評価制度」をAHRと共に
本記事で提言した3つの新しい評価視点(価値転換力・プロセス設計力・チーム貢献)は、AHRの3つの主要ファンクションの一つである「AI時代に即した制度設計、人材開発、カルチャー醸成」を実践するための具体的なアプローチです。 AIを「ツール」ではなく「経営資源」と捉え直すことで、人事評価制度は「過去の成果を査定するもの」から、「AIと共にどのような未来の価値を創り出すべきか」を社員に示す羅針盤へと進化します。 AIと人事制度、両方の知見を持つ私たちプロリクが、貴社の状況に合わせた評価制度の設計を伴走し支援します。
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著者について
宮前 貴史(株式会社プロリク )
大学卒業後、個人事業主として約5年半にわたり、BtoC・BtoB領域で営業から企画・運営までを一気通貫で経験。その後、ベンチャー企業にて採用担当として制度設計に従事し、さらにRPOサービスの立ち上げ責任者として、スカウト業務の仕組み化から実践までを牽引。プロリク参画後は、その豊富な実務経験を活かし、ITエンジニアのスカウト業務を中心に複数クライアントの採用成功を支援している
AI時代の人事評価:よくある質問
Q1. AHRの視点での評価は、従来の人事(HR)と何が違いますか?
A. 最も大きな違いは、誰を「主役」として見るか、という視点です。従来のHRは「人」だけを主役として、そのパフォーマンス最大化を考えていました。それに対しAHRは、「人とAI」が協働する姿を主役と捉え、その関係性から生まれる新しい価値(=本記事の3つの視点)を最大化することを目指します。
Q2. 私たちの会社はIT企業ではありません。それでも、この記事のような考え方は取り入れられますか?
A. はい、業種を問わず取り入れられます。AIはあらゆる業務に浸透します。例えば、製造業であれば「AIの需要予測をヒントに、新しい生産計画を立案する人間の創造性」、小売業であれば「AIが集めた顧客の声から、これまでにないサービスを考え出す人間の共感力」といったように、AIを「きっかけ」として発揮される人間ならではの価値はあらゆる現場に存在します。
Q3. AIが苦手な社員にとっては、厳しい評価制度になりませんか?
A. その心配はありません。AHRが提言する評価は、「AIを上手に使えるか」という技術スキル(プロセス設計力)だけを問うものではないからです。3つ目の視点である「チーム貢献・協働力」が示すように、「AI分析は同僚に任せ、自分はその分析結果から最高の顧客提案を考える」というのも素晴らしい「協働」です。一人ひとりの得意なことで貢献し、チームとして大きな価値を生み出すことを推奨する制度です。
参考文献、資料
- 木下(2023)『ダイナミック・ケイパビリティのフレームワーク:資源ベース再構成の組織能力』